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当店では、高山番薯丸(サツマイモ団子)1000 円をメニューに置いています。 ぜひご賞味ください。
サツモイモの粉で作った皮の中に、おいしい具が入っています。
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日本の郷土料理として有名な、「けんちん汁」も福建あたり「宋王朝」から伝来したという説があります。
リンク:隠元の渡来 インゲン豆とともにもたらした。
【福建素菜由来】正宗建長汁(けんちん汁)
北鎌倉よろず話・けんちん汁
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また、「空手」は、「唐手」と呼ばれたこともありますので、影響を受けていることは間違いないでしょう。
空手の型のいくつかは、福建から伝わったことが分っているようです。
ナイハンチ、バッサイ、クーサンクー:泊村に住む福州安南の漂着人より伝えらえた。首里手・泊手系の各流派に伝わる ウィペディア:「空手道」より
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砂糖も福建経由で日本に |
今では毎日当たり前のように口にしている、無くてはならない砂糖。
江戸時代から、和菓子に多用されるようになり、果物の保存などにも使われるようになったようです。 |
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その砂糖は、さとうきび(甘蔗、かんしょ)から作られるわけですが、製糖するには石灰を入れて精製する過程など、技術的に高度な手法が必要であり、福建から技が伝わって日本でも砂糖が作られるようになったということです。
以下日本の砂糖の起源を知る上で参考になる書籍より、一部を抜粋引用
季刊 糖業資報(製糖工業界) NO.182 2009年度・第2号
寄稿 日本の砂糖のふるさと-中国・福建省 岡部 史 P7-P12
マルコポーロの東方見聞録にも、福建省は製糖の盛んな地として記されている。
福建省では黒糖や氷砂糖など各種の砂糖が作られ、皇帝にも献上されていた。
福建省からの砂糖作りを学んだ奄美や沖縄では、黒糖のみの生産に限られ、精製糖は明治に至るまで作られなかった。
江戸時代唐船による砂糖輸入と国内消費の展開(松浦章)
東アジア文化交渉研究 第3号2010.3 P335-357
日本が唐船から輸入した砂糖はどのように消費されていたのであろうか。この問題について検討してみたい。 ~略~ 18世紀初めに日本では、砂糖には大別して氷砂糖、白砂糖、黒砂糖の三品があった。これらはいずれも甘蔗から製造されたが、当時の日本では繁茂していなかった。そのため海外から長崎にもたらされたのである。 ~略~ 白砂糖にする方法を述べている。 この方法を伝えたのが廈門船の李大衡である。 江戸時代の初期より、中国船やオランダ船によって外国産の砂糖が流入していた日本ではあるが、徳川八代将軍吉宗によって、中国の甘蔗栽培と製糖技術を文献を通じて学ぼうとし、また長崎に来航した中国船主から甘蔗栽培と製糖方法を収集するなどの方法も採用したのであった。 |